本門戒壇の大御本尊 出世の本懐
私は元日蓮正宗信者なのですが日蓮正宗は日蓮が御書で説いている三証(文証と理証と現証の3つ)を用いて「本門戒壇の大御本尊」を日蓮造立の本尊だと証明しないのはなぜなのでしょうか?日蓮正宗の信者や僧侶は体験談 などで本門戒壇の大御本尊に信じて折伏したことで起こったとされる現証のみで日蓮正宗の正しさを強調するばかりで三証を用いて証明しないと日蓮の教説に違背しているばかりか自分ちで本門戒壇の大御本尊が偽物だと言っているようなものだと思うのですがどうなのでしょうか? 所詮はカルト宗教だからです。 それ程にも素晴らしい本尊なら、大石寺奉安殿から出して多くの人に拝ませたら良いし、この際なので炭素放射能年代測定とか、年輪時代測定とか、筆跡鑑定とかやったら良いのです。 なぜしないか?
本門戒壇の大御本尊 大きさ
回答受付終了まであと7日 歴代貫主が言っていた国立戒壇だからって言って、国立戒壇が正しいと主張する顕正会員! 現貫主の仰せを重んじるのが日蓮正宗の化義であります。 これを知らないと、浅井昭衛の話しか聴いていないと言うことから客観的に判断できずに顕正会が正しいと悩乱しますよね。 歴代貫主が言う国立戒壇には、戦前の昭和天皇性質の無い、戦後の昭和天皇の性質をもつものとなる現在、かつて浅井昭衛は、 【学会員は何故なぜ功徳を失ったか】という書籍にある『民衆立』と『国立』は【同意語】であると明した『国立』と言う【語】に関して言えば、歴代貫主のモノではなく浅井昭衛オリジナルの国立戒壇となり、民衆立戒壇といっているに等しい。 よって、歴代貫主が言っていた国立戒壇だから正しいと言うかつての化義は通用しない世の中となりつつあります。 質問ですが、浅井昭衛の言う『国立』と『民衆立』は同意語なんですか? 【浅井昭衛は逃げてるんで】、浅井城衛以下、顕正会教学部員ははハイかいいえで答えをにききたい。 または、代わりに現役顕正会員でも答えられるもんなら答えてみよ。
本門戒壇の大御本尊 出世の本懐
」なんて、全く悪気もなく勘違いする妙観講員がいるかもしれません。いやはや、なんとも不憫ですね。 また、大草は日蓮正宗法華講の大講頭という、大勢の信徒を指導する立場にあるようですから、彼の変節を知らず、発行された本の内容をうのみにして、正本堂や御遺命について誤解する人たちが出てきては大変です。 早く御遺命の正義に立ち還らなければなりません 日蓮大聖人は四条抄に、「 吾一門の人人の中にも信心もうすく、日蓮が申す事を背き給はば蘇我が如くなるべし 」と仰せです。「日蓮が申す事」の中に、御遺命ほど重大なことはありません。 また、顕立正意抄には、「 我が弟子等の中にも信心薄淡(うす)き者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし 」との厳しき仰せがあります。 後生を恐れる道念ある宗門僧俗は、早く御遺命違背の大罪を深く懺悔し、国立戒壇の正義に立ち還らなければなりません。 今回の記事を通して、一人でも多くの人たちが宗門の犯した御遺命違背の大罪に気づき、御遺命の正義に目覚めることを願ってやみません。
^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 80-但し、「安房国長狭郡東条郷小湊」とあり、片海であることは除く。 ^ 富士山頂上経ヶ岳霊場略縁起( 村山浅間神社 蔵) ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 516. ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 649. ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 179-但し、日興が弟子となり、伯耆房としたことのみ。 ^ 日蓮宗寺泊山法福寺サイト 「法福寺について 境内」 ^ 綾部恒雄 1991, p. 150. ^ 『日蓮聖人遺文辞典 教学篇』1148頁 ^ 日蓮正宗宗務院『日蓮正宗要義』96頁 ^ 日蓮宗宗務院『宗義大綱読本』107頁 ^ 『日蓮聖人遺文辞典 教学篇』290頁 ^ 「曾谷入道殿許御書」 ^ 関戸堯海 2005, p. 219. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション - 立正安国論 ^ 日蓮 1976, pp. 1862-1866. ^ 日蓮 1994, pp. 1593-1595. ^ 日蓮宗宗務院教務部 1999, p. 53. ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, pp. 129, 130. ^ 中村元 2002, p. 394. ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 130. ^ 日蓮 1998a, pp. 37-38. ^ 日蓮 1998b, p. 239. ^ 若江賢三 2006. 戒壇院の御朱印~天下の三戒壇~(福岡県太宰府市) | 御朱印のじかん~週末ドロボー~. ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981. ^ 金岡秀友 1979, p. 229. ^ 日蓮 1976, p. 1165. ^ 「日妙聖人御書」 ^ 「一谷入道御書」 ^ 「忘持経事」 ^ 「四条金吾殿御返事〈不可惜所領事〉」 ^ 「崇峻天皇御書」、「四条金吾殿御返事〈怨敵大陣既破事〉」 ^ 「三沢抄」 ^ 「法門申さるべき様の事」 ^ 「蒙古使御書」 ^ 「兵衛志殿御書」 ^ 「高橋入道殿御返事」 ^ 新倉善之 1959. ^ 新倉善之 1959, pp. 110-111, 119. ^ 川添昭二 1977, pp. 70, 82, 89. ^ 川添昭二 1977, pp. 89. ^ 川添昭二 1977, pp. 134-135. ^ 小倉秀貫『史学雑誌』第2篇第10号、1891年 ^ 川添昭二 1977, pp. 111-122. ^ 川添昭二 1977, pp.